Fake Cake Cafe

政治と歴史を知るということ。

酒の席で、あるアイルランド人の友人がぼくに問いかけた。

「日本の政治について教えてくれ」

実はそのアイルランド人、別の日本人に同じ質問をしたことがあるのだけど「私は知らない。彼なら詳しいと思うよ」と言われて、それでぼくに聞いてみたのだそうだ。
「うん、ぼくは政治の専門家ではないけど、平均的な日本人に比べたら、政治について詳しいという自信はあるよ」と言い、ぼくは彼の質問にいろいろ答えた。その後、彼にアイルランドの政治について質問した。イギリスから独立してまだ100年も経っていないというお国柄なのだろうか、それともぼくの知識が足りないだけだろうか、彼は「平均的な日本人よりも上」と自称するぼくの知識よりもはるかに上だった。そして彼は、

日本人はどうして母国の政治や歴史のことを知らないのか?

と疑問に思ったという。それはぼく自身が歯がゆく思っていることでもある。

「”日本は過去に悪いことをした”と学校教育で教えられているから、自分の国に自信がなく、勉強したがらない人が多いんだよ」

と答えてみた。すると彼の意見はこうだ。

「過去がどうだったかなんてことは関係なく、国民は母国の政治や歴史について多く学び、各自の意見を持つべきだ。歴史は”こういうことをすると、こうなってしまう”という教訓の宝庫であり、未来への指針でもある。政治は政治家だけに任せていればよいというものではなく、国民一人一人が監視すべきものだ。国民一人一人が政治と歴史を学び、個人個人が意見を持たないと、活動的な少数派に国を牛耳られてしまう危険がある。そうなると世論も曲げられ、過去も曲げられ、国を牛耳った少数派にだけ都合のいい国になってしまう。沈黙する多数派は、活動的な少数派の前には、存在しないも同然。政治への無関心は罪だ」

多少はぼくの解釈が混じってるかも知れないけど、大意はこんな感じ。そして、それはぼくが常々思っていたけどうまく言葉に出来ない内容だったので、それをすらすらと口にした彼に感動した。日本の投票率の低さって、異常だよね。なんとかしたいんだけど、なんとかできないかなぁ。
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久々に歴史特集でも。

最近、ベルリン関連の記事が多いので、それに関して気になったことをまとめてみたいと思う。時代をだんだん遡って行く感じで。

  1. ドイツを分裂に追い込んだのは、資本主義国と社会主義国の軋轢。 では、両者が相容れなかったのは何故か?資本主義と社会主義の違いは何か? また、社会主義とよく似た言葉「共産主義」や「国家社会主義」とは何か?
  2. ドイツは、なぜ第二次世界大戦を起こさなければならなかったのか?
  3. ドイツは、なぜ第一次世界大戦を起こさなければならなかったのか?
素人解釈ですので、思い違いなどいろいろ含んでいるかも知れません。
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旅行計画。

今日は職場のプロ棋士サーバーが止まったままです。プロ棋士に休まれると、仕事もできない、メールも見れない、メッセもできない、お部屋探しもできない、旅行のための交通手段の手配もできない。困ったもんだ。

今できることと言えば、実家から送ってもらった荷物の中にあるドイツ旅行のガイドブックを眺めることくらい。なので、ベルリンの観光計画でも考えようかと思うのです。

歴史マニアとして、ベルリンで気になる場所は、

  • ツェツィリエンホーフ宮殿。
    もともとプロイセン王の居城であり、第二次世界大戦後の日本の処遇を決定した話し合い「ポツダム会談」が行われた場所。実はベルリンではなくポツダム市内(ベルリンから電車で30分)。日本人の歴史マニアならぜひとも行っておかねば。

  • 戦勝記念塔。
    1864年の対デンマーク戦、1871年の対フランス戦の勝利を記念して作られた塔。

  • ブランデンブルグ門。
    かの有名な「ベルリンの壁」は、この門の周りから真っ先に作られ始めたという。また、ナポレオンがドイツへ侵攻した際、この門にある女神の銅像を奪い去ってしまったとか(今では元に戻ってるそうです)。

  • チェックポイント・チャーリーハウス。
    ベルリンの壁があった当時、検問所だった場所。

  • 連邦議会議事堂。
    ドイツ第2帝国(第一次世界大戦当時のドイツ)、ワイマール共和国(第一次世界大戦直後のドイツ)で議会が開かれていた。統一ドイツになってから再建され、再び議事堂に。

このへん、おさえときたいね。
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オスマン帝国。

ぼくはわりといろんな趣味を持っている(かも知れない)のですが、同じような趣味を持っている人に出会うことはほとんどないです。そのうちのひとつは、歴史。興味範囲は宇宙の誕生から現代まで(要するに全部です)特に地域や時代を限定することなく歴史が大好きです。

ただ残念なことに、他にもやることはたくさんあるし(仕事は勿論、他の趣味もいっぱいあるし。最近凝ってるのは語学とチェス)、歴史ばっかりに時間をかけてられないってのが現状です。

そんなわけで、あまり大した記事も書けないので「Wikipedia」から気になる記事を選んで、ぼくなりの視点を付け加える感じで紹介してみようかなと思うわけです。歴史なんて興味ないよ、っていう人にも興味を持ってもらえたら嬉しいんですが。


現在も荒れに荒れまくってる中東情勢ですが、なんでそんなに荒れているんだ?どうやったら解決できるんだ?ということは「歴史」を見てみるとたくさんヒントが隠れています。

歴史とか過去の因縁とか、自分の生まれる前に起こったことなんか全員忘れてしまったほうが幸福になれるかも知れませんが、残念ながらそれは空論に過ぎません。現実にはそれを忘れない人がたくさんいるわけで、だからこそ、それを解決するには、歴史を知る必要があるわけです。

というわけで、中東地域の歴史はなかなか興味深いものがあります。第一回目は「オスマン帝国」と行きましょう。

オスマン帝国は1299年〜1922年まで、中東地域を中心に広大な領域を治めた多民族国家です。日本でいうと、鎌倉時代後期〜大正時代にあたります。かなり長生きしましたね。クリミア戦争ではイギリスと組んでロシアに勝利したんですが、第一次世界大戦ではイギリスなど連合軍と敵対して敗退。そしてオスマン帝国は解体され、いくつかの国に分解されてしまいます。

現在、中東地域にはいろんな国がありますが、現在の中東地域の国境はこの時期にほぼ確定されました。これを決めたのが、イギリスをはじめとする連合国軍。そしてそれが、現在も続く中東の混乱の大きな原因だったりします。ほら、だんだん興味が出てきましたか?

なぜ、クリミア戦争ではイギリスと組んでいたオスマン帝国が、第一次世界大戦では対立しなければならなかったのか? なぜ、連合国は将来に紛争の火種を残すような解体の仕方を選んでしまったのか?

とりあえずそのへん、ぼくは興味がありますね。

(参考文献:Wikipedia
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アイルランドらしきもの



かぁっくいいっ♪♪


本物の人間がこれ着てるのは、見たことないですが。







ただのクロス(十字架)ではなく、ケルト独特のクロスです。十字だけでなく、「円」が加わっているのが分かるでしょうか。


アイルランドのキリスト教は、土着の宗教(ケルト)とカトリックが融合した、特殊なものになっているらしいです。この「円」が、太陽信仰と輪廻思想を表すとか。さらにアイルランドは、様々なものに「神」が宿り、「妖精」がたくさん住んでいるそうです。


なんだか、日本の神道と仏教の関係に似ていると思いませんか?








アイルランドの最高学府、トリニティ・カレッジの正門です。創建は1592年、イギリスのエリザベス1世によってらしいです。







オコンネル通りの名前のもととなった、オコンネル様の像です。


1801年、アイルランドはイギリスの一部となりましたが、アイルランドで大多数を占めるカトリック教徒には、選挙権も被選挙権もありませんでした。オコンネル様はそんな状況を打破するために尽力し、1829年、カトリック解放令を勝ち取ったというわけです。


うぅ〜。歴史マニアの血が騒ぐ〜(謎)。







この立派な建物は、なんだと思いますか? 郵便局です。この郵便局は1916年の「イースター蜂起」の舞台なんです。


1912年、イギリス議会は「アイルランドは独立していいよ」と決めたのですが、第一次世界大戦が勃発したのを理由に「戦争が終わるまで待ってくれ」と、待ちぼうけを食らわされていたわけです。それに耐え切れなくなった人々が、1916年の復活祭の日、独立運動を起こしました。


この蜂起は数日で鎮圧されますが、それによってアイルランド人の怒りが爆発。アイルランドは1919年に独立を宣言し、「イギリス・アイルランド戦争」が始まります。1922年、アイルランド自由国が建国されますが、それでもイギリス連邦の一部でした。正式にアイルランド共和国が成立した(イギリス連邦から脱退した)のは 1949 年のこと。1801年のイギリス併合から、じつに148年後のことでした。



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